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 きかんしゃトーマスの世界を模型動画で再現するオリエンタルソドー鉄道/SodorOrientRailway製作奮闘記
 ◆ Skarloey Railway
オリジナル設定 ] 2006/10/14(土)
この狭軌鉄道は1806年に Cros-ny-Cuirn から Balladwail まで置かれた鉄道馬車を起源とします。 

 クローバンズゲート採鉱会社は Ward Fell の低い斜面に銅山を持っていましたが、鉱石は馬によって Cros-ny-Cuirn に運ばれ、そこから鉄道馬車で Balladwail に送られました。
 1820年にフィッシュベリーレールでこの路線を敷き直し、Benglas谷をさかのぼってWard Fellの銅山まで延長しました。 この路線は単に「鉄道」と呼ばれました、なぜなら島にはそれしか鉄道がなかったからです。
 しかしながら、 Festiniog 鉄道の成功に影響を受け、1863年には改良が求められました。 ジェームズ・スプーナーが担当した調査では以前と同様に当初鉱物路線のみが計画されました。 谷の人口はまばらで、炭鉱夫の客車と地元の乗客に1台の客車で十分だろうと考えられたからです。
 ところが、調査の間に、スカーローイの長く忘れられた湖が偶然に再発見されたとき、調査委員会の考えは一変しました。 スカーローイのミネラル源泉と手付かずの環境は委員会の心を捉え、そのメンバー Shamus Tebroc はスカーローイをスパとして開発する考えを提案したのです。
 ホテルと多くの別荘が投機として建てられ、材料の運搬のためにとりつけられていた重機は石炭、商品と乗客の手荷物のためにアップグレードされました。委員会はその路線をスカーローイ鉄道と改名しました。
 当時最新の客車セットが発注され、1号機関車と 2号機関車はホワイトヘブンのフレッチャー・ジェニングスによって製造されました。 そして広告キャンペーンで人々を引き付けることを望んだ2つの場所の名を取ってそれぞれ スカーローイと リーニアスと命名されました。
 数年間計画はうまくいきましたが徐々に旅客は減り始め、1900年頃とうとう銅の鉱脈がなくなり、1909年、路線はCros-ny-Cuirn のハンデル・ブラウン氏に売却されました。ブラウン氏は谷の主要な土地所有者で東ソドーの有力な下院議員でした。

続く
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